家族のサポート、育児、突発的なできごと。
自分のことは後回しに…そんな日々が続いていた中で、
ふと「私は今、誰の人生を生きているんだろう」と立ち止まる瞬間がありました。
今回は、忙しさの中で見失いかけていた“自分の選択”に気づき、
『7つの習慣』の「主体性」という言葉に救われた、私の体験を綴ります。
実家に戻ってきた理由と、今の生活
母の入院をきっかけに、私は娘と一緒に実家に戻ってきました。
兄は仕事で忙しく、私は育児中。
動けるのは私だから、と自然に行動しました。
誰かに頼まれたわけではありません。
でも、「母のそばにいたい」「安心させたい」という思いで、自分で決めたことでした。
それでも、祖母の骨折や父の通院などが重なり、
気づけば“毎日を回すだけで精一杯”という状態に。
「今は自分のことをする時じゃない」と思っていた
やりたいことがあっても、
「今はそんなことしている場合じゃない」と思っていました。
ブログや自己理解のワークも手放し、
「それは落ち着いてから」と自分に言い聞かせていたんです。
でも、心のどこかで、何かが引っかかっていた。
「本当にそれでいいの?」という、自分の中の小さな声が。
『7つの習慣』の一節がくれた問いかけ
そんな時、ふと読み返した『7つの習慣』にこんな一節がありました。
「刺激と反応の間には、選択の自由がある」
…私は、今ちゃんと“選んで”いるだろうか?
ただ「こうするしかない」と流されているだけじゃないか?
そう思った瞬間、目の前が静かにクリアになった気がしました。
「私はどうしたいの?」と立ち止まった日
そこで私は、自分に問い直してみました。
「私は、どうしたいの?」
「今、最優先にしたいことは何だろう?」
出てきたのは、
“母のそばにいたい”という気持ちと、
“やりたいことも、細くても続けたい”という本音。
どちらも大切にしたいなら、どうしたらいいか?
「できない」で終わらせるのではなく、どうすればできる形になるかを考えてみることにしました。
工夫すればできる。そう思えたら景色が変わった
場所が違っても、時間が短くても、
「今の私なりに」やれる方法はある。
そう気づいたことで、私はようやく思えました。
「これは、私が自分で選んだことだ」と。
母のそばにいることも、
自分のこともあきらめないと決めたことも。
どちらも“自分の選択”として受け止めることができたら、
心が少しだけ軽くなったんです。
おわりに|“選ぶ力”は、今この瞬間にもある
「こうしないといけない」
「仕方ないから」
そうやって動いていると、
いつの間にか“誰かの人生を生きているような感覚”になってしまう。
でも本当は、
いつだって自分の意思で選ぶことができる。
今、選んでいることは自分の決断ですか?
その選択に、あなた自身が納得していますか?
もし少しでも違和感があるなら、
「私はどうしたい?」と問いかけてみてください。
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「私はどうしたい?」と問いかける習慣は、
実は“自己理解”の第一歩でもあります。
少しずつでも、自分の声に耳を傾けていきたいですね。
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